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こころと身体の健康づくり
波乱万丈! プロパー街道番外 京都編2
京都府立医大病院を担当している間に上司が何人か変わりました。
その中で大学病院の役割を理解して頂き、大学病院への対応を優先して頂けた上司もいましたが、現実の売上げを優先する上司も居られました。
基幹病院や個人病院は1人のドクターの持たれる患者数、また薬の使用量は大学病院と比較すると圧倒的に多く、雲泥の差でした。
大学病院は先に述べたように患者を持っている先生、また研究だけの先生、外の病院からこられている先生など多くの先生に同じように対応して行かねばならない中で、大学病院の売上げだけを評価すると、時間や経費も含め非常に効率は悪くなってきます。
一方、その先生方が別の病院で薬を使って頂いていることなど考えれば、当然、大学へかけるエネルギーは必要不可欠なのですが、上司によってはなかなか理解頂けない事もありました。
また、上司によっては同じ大学病院担当でありながら対応を変えないといけない事があり、非常に悩む事もありました。
一方、私は「上司によって対応が変わる事なんかは出来ない、あくまでも、会社の存在を地域で広めるための役割を大学病院が担ってるんだ!」との信念で自分が納得できないことについてはとことん上司に突っ込んで進言していきました。
上司によって違いはありましたが、ある上司は、最初は理解されない事も時間とともに理解されるようになると、今度は上司から相談を受けることが多くなりました。
朝、病院廻りを終えて会社に戻ると、「おーい、高橋、ちょっと」と、しょっちゅうお声がかかるようになりました。
回りの仲間からは高橋はゴマばかりすってと思われ「高橋する」の言葉もはやりました。
その上司とは、いろんな意見を聞いて頂きましたが一方大切な言葉を学びました。
それはその後、私が歩む時にいつも考えの基となり今も大切にしている言葉です。
1つは『森林理論』
「森の中の木は陽が当たる大きな木がどんどん生長し陽の当たらない木は枯れていくけど、陽が当たる木、大きな木を採れば陽の当たらない木にも陽があたり成長する。
また大きい木はどこに行っても生きる力持っているからトータルで大きな成長が出来る。
陽の当たらない木にどう陽を当てるかが大切だ」
もう1つは『羊追いの理論』
「羊を放牧しているところで夕方になって犬を檻に羊を入れようとすると必ず何頭か檻に入らない羊が出来る、そしてそのいうことの聞かない羊を間引くとみんな檻に入るかと思うと必ずまた檻に入らない羊が生まれる。
人間社会も同じで枠にはまらないからと切り捨てても、またはまらない人が生まれてくるから、そのような枠にはまらない人も含めて組織として管理していく事が大切だ」
この2つの言葉、考えは今も私の心に大きく存在し常に判断基準の糧になっております。
京都で北部の担当も含め10年仕事をしてきましたが、会社の命により名古屋支店の病院課の課長を仰せつかり昭和61年7月に名古屋に転勤になりました。
名古屋支店は中部、北陸の7県でしたが、私の担当は名古屋市内を中心に官公立病院が主な担当でした。
名古屋大学、名古屋市立大学2大学を含め、国立名古屋病院、第二日赤病院、中京病院など中部地区の中心病院でした。
当時、明治製菓は抗生剤が中心となる会社で、どうしても先生とプロパーが一対一の関係での営業が多く、個人病院等での売上げのウエイトも多く、京都でもそうでしたが、大学病院、基幹病院でのシェアーが低かったのです。
またシェアー拡大にも多大なエネルギーが必要であり、どこの部署でも、また多くのプロパーも、得意なところへエネルギーを集中させることが多かったです。
その中で大学病院の役割を理解して頂き、大学病院への対応を優先して頂けた上司もいましたが、現実の売上げを優先する上司も居られました。
基幹病院や個人病院は1人のドクターの持たれる患者数、また薬の使用量は大学病院と比較すると圧倒的に多く、雲泥の差でした。
大学病院は先に述べたように患者を持っている先生、また研究だけの先生、外の病院からこられている先生など多くの先生に同じように対応して行かねばならない中で、大学病院の売上げだけを評価すると、時間や経費も含め非常に効率は悪くなってきます。
一方、その先生方が別の病院で薬を使って頂いていることなど考えれば、当然、大学へかけるエネルギーは必要不可欠なのですが、上司によってはなかなか理解頂けない事もありました。
また、上司によっては同じ大学病院担当でありながら対応を変えないといけない事があり、非常に悩む事もありました。
一方、私は「上司によって対応が変わる事なんかは出来ない、あくまでも、会社の存在を地域で広めるための役割を大学病院が担ってるんだ!」との信念で自分が納得できないことについてはとことん上司に突っ込んで進言していきました。
上司によって違いはありましたが、ある上司は、最初は理解されない事も時間とともに理解されるようになると、今度は上司から相談を受けることが多くなりました。
朝、病院廻りを終えて会社に戻ると、「おーい、高橋、ちょっと」と、しょっちゅうお声がかかるようになりました。
回りの仲間からは高橋はゴマばかりすってと思われ「高橋する」の言葉もはやりました。
その上司とは、いろんな意見を聞いて頂きましたが一方大切な言葉を学びました。
それはその後、私が歩む時にいつも考えの基となり今も大切にしている言葉です。
1つは『森林理論』
「森の中の木は陽が当たる大きな木がどんどん生長し陽の当たらない木は枯れていくけど、陽が当たる木、大きな木を採れば陽の当たらない木にも陽があたり成長する。
また大きい木はどこに行っても生きる力持っているからトータルで大きな成長が出来る。
陽の当たらない木にどう陽を当てるかが大切だ」
もう1つは『羊追いの理論』
「羊を放牧しているところで夕方になって犬を檻に羊を入れようとすると必ず何頭か檻に入らない羊が出来る、そしてそのいうことの聞かない羊を間引くとみんな檻に入るかと思うと必ずまた檻に入らない羊が生まれる。
人間社会も同じで枠にはまらないからと切り捨てても、またはまらない人が生まれてくるから、そのような枠にはまらない人も含めて組織として管理していく事が大切だ」
この2つの言葉、考えは今も私の心に大きく存在し常に判断基準の糧になっております。
京都で北部の担当も含め10年仕事をしてきましたが、会社の命により名古屋支店の病院課の課長を仰せつかり昭和61年7月に名古屋に転勤になりました。
名古屋支店は中部、北陸の7県でしたが、私の担当は名古屋市内を中心に官公立病院が主な担当でした。
名古屋大学、名古屋市立大学2大学を含め、国立名古屋病院、第二日赤病院、中京病院など中部地区の中心病院でした。
当時、明治製菓は抗生剤が中心となる会社で、どうしても先生とプロパーが一対一の関係での営業が多く、個人病院等での売上げのウエイトも多く、京都でもそうでしたが、大学病院、基幹病院でのシェアーが低かったのです。
またシェアー拡大にも多大なエネルギーが必要であり、どこの部署でも、また多くのプロパーも、得意なところへエネルギーを集中させることが多かったです。