シイ企画 > 波乱万丈な薬剤師人生
こころと身体の健康づくり
波乱万丈! プロパー街道!8
仕事以外でのサポートとして思い出に残るものは・・・
当時、ビデオはベータとVHSが競争しており、また野外でのビデオ撮影など少数の人しか興味がなかった頃でした。
当然機材も高かったのですが・・・
私は自分の趣味もあり、娘の誕生とともに大金をはたいてビデオカメラを購入しました。
やがてそれは、先生方の結婚式の撮影に借り出されたりして、次第に仕事のサポートツールになっていきました。
ある医局の教授が退官されるにあたって、記念にと教授のお仕事の思い出ビデオアルバムとして作成のお手伝いもさせて頂きました。
その頃、先生方は特殊な手術など記録として保存されるのに16mm映画で撮影し保存されていましたが、ビデオでの保存したいとの事で、手術場に立会いビデオ撮影を担当することもありました。
また先生方はよく学会やお仕事の関係で急な出張が多く、学会やまた時期によってはホテルが取れない、新幹線、飛行機が取れなくて困っておられることがよくありました。
多くのメーカーは事前に取れる場合、費用負担して切符や宿の確保をする事も多くありましたが、私はそのような事はせずに、「先生困ったら私に言ってきてください」その一言で対応してきました。
先生方も事前に計画している学会などは大丈夫なのですが、急に出席しないといけない事があると大変、そんな時は急遽私の呼び出しです。
私には親しく何でも頼める旅行社の知人がいましたので、困った時は彼に依頼するのです。
彼はいろんなワザを使って対応してくれました。
例えば年末年始の新幹線の切符など、通常では絶対無理な場合でも、地方の営業所だと早く打てるので取れるだろうと、彼の知り合いの担当者にとって頂いた事もありました。
ただ親しいだけでなく、営業所の人達も明治の高橋の頼みなら仕方ないと思って頂けるようになり、私も売上の協力を惜しまなかったのです。
良いように回転すると先生(若い先生が多いので)が結婚される時なども安心して頂けるとの事で、新婚旅行の手配など良く引き受けました。
医局旅行やそのような手配は旅行社にとっては売上に寄与できましたので、旅行社の知人や、その他の担当の方にも喜んで頂けたと感じています。
あと先生方へのサポートとして思い出にあるのは、先生方の趣味、特にゴルフや車を買われる時など先生も多くのプロパーに相談されることが多く、プロパーは自分の得意を発揮する時と結構、頑張る方が多かったようです。
私は「先生、先生が好きな物、納得する物を買われるのが一番ですよ、決まったらまた教えて下さい」と、決まってから相談に乗るようにしました。
車など世話すると、必ずと言っていいほど、どこかから「僕ならもっと安く買えるとこしってますよ、もっと安く買えますよ」との話が入ってきて、せっかく努力したプロパーが悪者になったりする場合が多かったのです。
ゴルフでも一緒で、「お前が勧めたクラブは、お前がくれたクラブは、スコアが悪い」と買うまでは良いけど、一度スコアが悪いとプロパーのせいになってしまいそれまでです。
そのためゴルフには多くは関わらなかったですが、ゴルフ販売の店長とは親しく付き合い、私の紹介で来られる方には特別割安で売ってくださいとお願いし、後から店長に差額を個人的にフォロー(すなわち差額の補填)をしていました。
車では知っているディーラーで決済された時は、後からサービス品をプレゼントしてもらうようにお願いしました。自分で納得して買われた物は、他人のせいに出来ないから、私はあまり積極的にはかかわらないようにしていました。
仕事のサポートにしろ、趣味や遊びに関しても少しでも多くの先生の脳裏にある3人の中の一人になる事、また8人の中には何人のドクターに入っているのか、それが課題でした。
我々、メーカーのプロパーの目的は先生と親しくなる事でなく、あくまでも会社の薬剤を適正なかたちで多く使って頂くことです。
前にも書きましたが医局と会社との契約を(営業治験など)はじめ、対医局、対研究室、対ドクター個人さまざまな対応が必要で先ほど述べた「先生との信頼関係」は、その手段にしか過ぎない事も肝に命じて仕事をしていました。
それこそ姿かたちの見えない他社プロパーの会社の製品が使われている、何で何で・・・と悩む事もしばしばでした。
しかし、思い直して先生方と親しくなり信頼関係を築く事と、薬を使って頂く事とは別、それをどう結びつけるかが一番大切な仕事であるかを知りました。
何かミスをしたり、問題を起こしたメーカーの○○は使うな、との指示はありますが、どれだけ教授や助教授と親しくなっても、明治の薬を使えとは一言も言ってはもらえません。
でも信頼関係は本当の意味で助けてくれました。
私が大学病院を担当してちょっと調子に乗ってきた頃です。
医療費改定で大薬価改正が実施されるとの事で、病院は在庫調整のため、ほとんど仕入れなくなりました。
売上欲しさにお願いして多めに買って貰っていた薬品が売れなくなったのです。
厳しい現実に直面し、日々寝れない日が続き胃潰瘍にもなってしまいました。
内視鏡で見て頂いた先生からは、即入院しろと命令されましたが、「今は出来ない。
「今を乗り越えないと今まで頑張ってきたことがいっぺんに帳消しになるから」と、毎日注射にかよい(タガメットがまだ発売されていない時期)入院せずに仕事しながら治療する日々が続きました。
そして、その大薬価改正と同時に明治の新薬が発売されました。
京都府立は新薬の採用は最低でも1年以上はかかるのが常識と言われていたのですが、薬剤部長を初め多くの先生方の応援と協力によってその新薬は発売後3ヶ月で採用となりました。
採用ルールの中で如何に短期間で採用して貰えるか必死でしたが、それにもまして先生方が必死に協力して頂けた事は今の私の心に深く刻まれています。
そして、その小児用ドライシロップで全国10番以内に入る事が出来本社表彰して頂きました。
人の思い、気持ち、そしてそれに向かって取り組む姿勢、神様に向かって正直に取り組む事で、神様は必ず助けて下さるんだと信じる事が出来ました。
当時、ビデオはベータとVHSが競争しており、また野外でのビデオ撮影など少数の人しか興味がなかった頃でした。
当然機材も高かったのですが・・・
私は自分の趣味もあり、娘の誕生とともに大金をはたいてビデオカメラを購入しました。
やがてそれは、先生方の結婚式の撮影に借り出されたりして、次第に仕事のサポートツールになっていきました。
ある医局の教授が退官されるにあたって、記念にと教授のお仕事の思い出ビデオアルバムとして作成のお手伝いもさせて頂きました。
その頃、先生方は特殊な手術など記録として保存されるのに16mm映画で撮影し保存されていましたが、ビデオでの保存したいとの事で、手術場に立会いビデオ撮影を担当することもありました。
また先生方はよく学会やお仕事の関係で急な出張が多く、学会やまた時期によってはホテルが取れない、新幹線、飛行機が取れなくて困っておられることがよくありました。
多くのメーカーは事前に取れる場合、費用負担して切符や宿の確保をする事も多くありましたが、私はそのような事はせずに、「先生困ったら私に言ってきてください」その一言で対応してきました。
先生方も事前に計画している学会などは大丈夫なのですが、急に出席しないといけない事があると大変、そんな時は急遽私の呼び出しです。
私には親しく何でも頼める旅行社の知人がいましたので、困った時は彼に依頼するのです。
彼はいろんなワザを使って対応してくれました。
例えば年末年始の新幹線の切符など、通常では絶対無理な場合でも、地方の営業所だと早く打てるので取れるだろうと、彼の知り合いの担当者にとって頂いた事もありました。
ただ親しいだけでなく、営業所の人達も明治の高橋の頼みなら仕方ないと思って頂けるようになり、私も売上の協力を惜しまなかったのです。
良いように回転すると先生(若い先生が多いので)が結婚される時なども安心して頂けるとの事で、新婚旅行の手配など良く引き受けました。
医局旅行やそのような手配は旅行社にとっては売上に寄与できましたので、旅行社の知人や、その他の担当の方にも喜んで頂けたと感じています。
あと先生方へのサポートとして思い出にあるのは、先生方の趣味、特にゴルフや車を買われる時など先生も多くのプロパーに相談されることが多く、プロパーは自分の得意を発揮する時と結構、頑張る方が多かったようです。
私は「先生、先生が好きな物、納得する物を買われるのが一番ですよ、決まったらまた教えて下さい」と、決まってから相談に乗るようにしました。
車など世話すると、必ずと言っていいほど、どこかから「僕ならもっと安く買えるとこしってますよ、もっと安く買えますよ」との話が入ってきて、せっかく努力したプロパーが悪者になったりする場合が多かったのです。
ゴルフでも一緒で、「お前が勧めたクラブは、お前がくれたクラブは、スコアが悪い」と買うまでは良いけど、一度スコアが悪いとプロパーのせいになってしまいそれまでです。
そのためゴルフには多くは関わらなかったですが、ゴルフ販売の店長とは親しく付き合い、私の紹介で来られる方には特別割安で売ってくださいとお願いし、後から店長に差額を個人的にフォロー(すなわち差額の補填)をしていました。
車では知っているディーラーで決済された時は、後からサービス品をプレゼントしてもらうようにお願いしました。自分で納得して買われた物は、他人のせいに出来ないから、私はあまり積極的にはかかわらないようにしていました。
仕事のサポートにしろ、趣味や遊びに関しても少しでも多くの先生の脳裏にある3人の中の一人になる事、また8人の中には何人のドクターに入っているのか、それが課題でした。
我々、メーカーのプロパーの目的は先生と親しくなる事でなく、あくまでも会社の薬剤を適正なかたちで多く使って頂くことです。
前にも書きましたが医局と会社との契約を(営業治験など)はじめ、対医局、対研究室、対ドクター個人さまざまな対応が必要で先ほど述べた「先生との信頼関係」は、その手段にしか過ぎない事も肝に命じて仕事をしていました。
それこそ姿かたちの見えない他社プロパーの会社の製品が使われている、何で何で・・・と悩む事もしばしばでした。
しかし、思い直して先生方と親しくなり信頼関係を築く事と、薬を使って頂く事とは別、それをどう結びつけるかが一番大切な仕事であるかを知りました。
何かミスをしたり、問題を起こしたメーカーの○○は使うな、との指示はありますが、どれだけ教授や助教授と親しくなっても、明治の薬を使えとは一言も言ってはもらえません。
でも信頼関係は本当の意味で助けてくれました。
私が大学病院を担当してちょっと調子に乗ってきた頃です。
医療費改定で大薬価改正が実施されるとの事で、病院は在庫調整のため、ほとんど仕入れなくなりました。
売上欲しさにお願いして多めに買って貰っていた薬品が売れなくなったのです。
厳しい現実に直面し、日々寝れない日が続き胃潰瘍にもなってしまいました。
内視鏡で見て頂いた先生からは、即入院しろと命令されましたが、「今は出来ない。
「今を乗り越えないと今まで頑張ってきたことがいっぺんに帳消しになるから」と、毎日注射にかよい(タガメットがまだ発売されていない時期)入院せずに仕事しながら治療する日々が続きました。
そして、その大薬価改正と同時に明治の新薬が発売されました。
京都府立は新薬の採用は最低でも1年以上はかかるのが常識と言われていたのですが、薬剤部長を初め多くの先生方の応援と協力によってその新薬は発売後3ヶ月で採用となりました。
採用ルールの中で如何に短期間で採用して貰えるか必死でしたが、それにもまして先生方が必死に協力して頂けた事は今の私の心に深く刻まれています。
そして、その小児用ドライシロップで全国10番以内に入る事が出来本社表彰して頂きました。
人の思い、気持ち、そしてそれに向かって取り組む姿勢、神様に向かって正直に取り組む事で、神様は必ず助けて下さるんだと信じる事が出来ました。