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シイ企画 > 波乱万丈な薬剤師人生

波乱万丈! プロパー街道!6

大学病院担当になって次第に病院の様子が解ってきました。
私は一日を4つのサイクルにわけ朝(8時?10時)昼(12時?14時)夕(16時?18時)晩(19時?21時)の1日4回大学病院を廻る事を原則にしました。

その間は会社へ戻って内勤したり、先生からの依頼の仕事にあてたりで、日によっては4回が3回、2回になることも多々ありました。

一日4回のサイクルを1週間単位で考えると20回訪問する事になり曜日と時間帯で各医局や研究室、また先生方の居られる時間帯が把握でき効率的な訪問が出来るようになりました。
それまでは毎日同じ先生ばかりお会いしたりして効率的な面談が出来なかったことを思うとお会いできる先生が格段に多くなりました。

大学病院では単に先生と面談して、お薬を宣伝し使って頂くだけでなく、医局と明治、高橋個人のおつきあい、研究室と明治、高橋個人のおつきあい、そして先生個人と高橋個人のお付き合いにまで広がってきました。

そんな中いろんな関係が生まれてきました。

個人病院、基幹病院では多くが先生と高橋個人との繋がりが優先していましたが、大学病院では会社(明治)と医局の関係の橋渡しを初め、あらゆる事が私の仕事となり、到底1人の担当ではすべてをこなすことが出来ず、得意な医局、そうでない医局や研究室が出来てくるのはやむ終えない事でした。

親しくお付き合いさせて頂く医局では、教授、助教授の先生を初めスタッフの講師、助手の先生方、臨床中心の修練医の先生、研修医、また研究中心の大学院生、他の病院から週に1、2度来られる研究生等、あらゆる先生と面識、お付き合いが必要とされました。

その医局で、医局ゴルフコンペのお手伝いをした時、どうしてもプレーに参加しないといけない時は必ずといって教授とご一緒に1組目で廻る事になりました。

そんな時たまたまニアピンホールで一番近くにつくと教授から「おい高橋、お前が名前書きなさい」と命令されるのですが、私は「競技に参加していませんから」と言っても、無理やり書かされる、しかしその後からプレーする人が旗に私の名前があるのをみて、「なんだこいつ高橋は旗に名前書いて何を考えている、今日は医局コンペを解っていないな」とお叱りを頂きました。

また医局の皆様と会合の2次会に出席した時も、トップの先生から、「高橋前座を勤めてまずトップで歌え」と言われ歌うと、別のところから「一番に歌うとは高橋は何を考えている、自分の立場をわきまえろ」とお叱りが飛んできました。

医局全体を掌握しようとすると、ある部署とは、とても密接になり、他の部署からはそんな私にお叱りをいただく・・そういう事が日常茶飯事な事になってきてどちらも立てるのは非常な難しさを感じました。

しかし、私の信念「先生がたにとって必要な人間、プロパーになる」を常に意識し、実践したことで多くの先生方から理解、支持されるようになりました。

大学病院での私の存在意義は如何に先生方の仕事、勉強のお手伝いが出来るかに掛かっていました。
これは、京都北部の病院を廻っているときに私の尊敬する持田のプロパーや病院の先生方から学んだことでした。
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