シイ企画 > 波乱万丈な薬剤師人生
こころと身体の健康づくり
波乱万丈! プロパー街道!5
当時、病院プロバー職には接待費、交際費も多く支給されていました。
これは、一歩間違えると仕事のためにその費用を使うというよりも、先生を接待するという名目の下で自分の興味、趣味のために使う・・・という事になりかねません。
実際、そのようなプロパーも多かったのです。
私はこのような風潮に疑問と怒りを感じていました。
私が尊敬する持田製薬のプロパーの方は、仕事の基本は施設を廻り先生と面談する事であるとの信念を持ち、仕事をされていました。
また、先生の接待よりも先生方のご家族を含めたおつきあいが出来ることが大切だと言われていました。
盆暮れのご挨拶や地方で出かけた時のお土産など、ご自宅にお伺いして奥様にご挨拶することで、先生とのより深い信頼関係を築く事ができるのだと私に教えてくれました。
京都北部の病院は一部で京大の関連病院もありましたが、大きな病院はほとんど京都府立医大の関連病院で、そこでは京都府立医大の先生方と親しく、また時には厳しくご指導をいただきました。
そして、その時の経験が後に大いに役立つと共に大学担当プロパーの基礎を学べたと思っています。
京都北部病院の担当は1年と6ヶ月で終わり、その後、京都府立医大病院の担当となりました。
京都北部病院を担当しているときに、私の結婚の話しが出てきたのですが、その結婚の話しが具体化するとほぼ同時に京都に戻る事になりました。
京都府立医大病院を担当して、大学と関連病院との繋がり、また医局を中心としての先輩後輩の関係、大学病院の役割、医療の現実を目の当たりに知ることが出来ました。
(まさに、山?豊子「白い巨塔」の世界をかいまみたわけです)
京都北部の病院担当の時は診療所、個人病院、基幹病院を含め、1人1人の先生と面談し、処方して頂くことを中心として営業を行ってきました。
大学病院は1つの医局で取り扱いが決まった薬剤は約束処方として、また疾患ごとでルーチンに使われることになり、またそうなった薬剤は先生方が出張される医療機関でも使われることが多いのです。
大学病院での人や組織の結びつきや、仕組みが色々なところに大きな影響を及ぼすという事を知りました。
大学病院には1つの医局に、教授を筆頭に助教授、講師、助手のスタッフ、そして大学院の先生方、また研究をしながら臨床をされている先生、そして研修医と、どの医局も多くの先生方がいらっしゃいました。
また外の関連病院に勤務の先生方も研究のために大学の研究室によく来られていました。
総勢では500名を超える先生方が勤務されておられました。
メーカーによっては何人もの担当プロパーがおり、チームとして営業を行っている事も多く、明治は私1人で太刀打ちしていかねばならない環境でした。
病院としての薬剤購入額もかなり大きいものでしたが、多くの先生方と多くの競合する薬品プロパーとの競争は並大抵のものではありませんでした。
どのようにして明治の存在を、また私自身の存在を知ってもらえて、お役に立てる事ができるか、日々常に思い悩んでいました。
そんな中、基幹病院、個人病院の手術は午後からが多かったのですが、大学病院は朝からの手術が中心で、三星堂で学んだ
「誰よりも朝早く現場に行く」
ことの実践として、手術前に医局、研究室に行く事を日課にしました。
手術は9時から始まる場合でも執刀は9時過ぎです。
患者さんは8時頃には手術場に入り、そのために主治医の先生はその前に病棟に行かれます。
手術前に先生にお会いするには7時半過ぎには研究室へ行かなければなりません。
常に朝一番の継続が何よりも信頼を得る手段だとつくづく感じました。
朝医局へ行くと流し場には飲み干したカップや食器が山のように積まれ、まずそれを洗うことから、そして朝一番のコーヒーを入れる事、俗に言う男芸者・・と言うより、何でも屋になっていました。
先生方とのコミュニケーションはいろんな場がありました。
朝大学に訪問し、医局、研究室を廻って先生方とお会いし面談することがなにより大切ですが、患者さんを多く抱え忙しい先生ほど、昼間、医局におられることが少なく病棟に入りびたりが多かったです。
そのような先生とお逢いできる貴重な時間は昼休みです。
当初、昼休みに医局を廻っていて先生から、
「おい高橋一緒に昼飯食べに行こうか」
と誘われることは他のプロパーより親密なお付き合いの証拠だとすごく喜んでいました。
しかし、この昼休みの2時間弱こそ多くの先生に会える貴重な時間であり、数人の先生と仲良く団欒する時間ではないとすぐに気づきました。
それからは、いつも弁当を持参し、昼前に車の中で弁当を先に食べおなかを膨らませるようにしました。
こうすれば、医局で食べている先生を見てもお腹が空く事はありませんし、先生のお昼の誘いを「もう食べてきました」と断る事もできました。
多くの他社のプロパーは昼食を昼間廻った後にゆっくり摂ることが多いので、先に食べて廻ることは時間を気にしないで先生方と懇談、面談が出来る他社との貴重な差別化になりました。
これは、一歩間違えると仕事のためにその費用を使うというよりも、先生を接待するという名目の下で自分の興味、趣味のために使う・・・という事になりかねません。
実際、そのようなプロパーも多かったのです。
私はこのような風潮に疑問と怒りを感じていました。
私が尊敬する持田製薬のプロパーの方は、仕事の基本は施設を廻り先生と面談する事であるとの信念を持ち、仕事をされていました。
また、先生の接待よりも先生方のご家族を含めたおつきあいが出来ることが大切だと言われていました。
盆暮れのご挨拶や地方で出かけた時のお土産など、ご自宅にお伺いして奥様にご挨拶することで、先生とのより深い信頼関係を築く事ができるのだと私に教えてくれました。
京都北部の病院は一部で京大の関連病院もありましたが、大きな病院はほとんど京都府立医大の関連病院で、そこでは京都府立医大の先生方と親しく、また時には厳しくご指導をいただきました。
そして、その時の経験が後に大いに役立つと共に大学担当プロパーの基礎を学べたと思っています。
京都北部病院の担当は1年と6ヶ月で終わり、その後、京都府立医大病院の担当となりました。
京都北部病院を担当しているときに、私の結婚の話しが出てきたのですが、その結婚の話しが具体化するとほぼ同時に京都に戻る事になりました。
京都府立医大病院を担当して、大学と関連病院との繋がり、また医局を中心としての先輩後輩の関係、大学病院の役割、医療の現実を目の当たりに知ることが出来ました。
(まさに、山?豊子「白い巨塔」の世界をかいまみたわけです)
京都北部の病院担当の時は診療所、個人病院、基幹病院を含め、1人1人の先生と面談し、処方して頂くことを中心として営業を行ってきました。
大学病院は1つの医局で取り扱いが決まった薬剤は約束処方として、また疾患ごとでルーチンに使われることになり、またそうなった薬剤は先生方が出張される医療機関でも使われることが多いのです。
大学病院での人や組織の結びつきや、仕組みが色々なところに大きな影響を及ぼすという事を知りました。
大学病院には1つの医局に、教授を筆頭に助教授、講師、助手のスタッフ、そして大学院の先生方、また研究をしながら臨床をされている先生、そして研修医と、どの医局も多くの先生方がいらっしゃいました。
また外の関連病院に勤務の先生方も研究のために大学の研究室によく来られていました。
総勢では500名を超える先生方が勤務されておられました。
メーカーによっては何人もの担当プロパーがおり、チームとして営業を行っている事も多く、明治は私1人で太刀打ちしていかねばならない環境でした。
病院としての薬剤購入額もかなり大きいものでしたが、多くの先生方と多くの競合する薬品プロパーとの競争は並大抵のものではありませんでした。
どのようにして明治の存在を、また私自身の存在を知ってもらえて、お役に立てる事ができるか、日々常に思い悩んでいました。
そんな中、基幹病院、個人病院の手術は午後からが多かったのですが、大学病院は朝からの手術が中心で、三星堂で学んだ
「誰よりも朝早く現場に行く」
ことの実践として、手術前に医局、研究室に行く事を日課にしました。
手術は9時から始まる場合でも執刀は9時過ぎです。
患者さんは8時頃には手術場に入り、そのために主治医の先生はその前に病棟に行かれます。
手術前に先生にお会いするには7時半過ぎには研究室へ行かなければなりません。
常に朝一番の継続が何よりも信頼を得る手段だとつくづく感じました。
朝医局へ行くと流し場には飲み干したカップや食器が山のように積まれ、まずそれを洗うことから、そして朝一番のコーヒーを入れる事、俗に言う男芸者・・と言うより、何でも屋になっていました。
先生方とのコミュニケーションはいろんな場がありました。
朝大学に訪問し、医局、研究室を廻って先生方とお会いし面談することがなにより大切ですが、患者さんを多く抱え忙しい先生ほど、昼間、医局におられることが少なく病棟に入りびたりが多かったです。
そのような先生とお逢いできる貴重な時間は昼休みです。
当初、昼休みに医局を廻っていて先生から、
「おい高橋一緒に昼飯食べに行こうか」
と誘われることは他のプロパーより親密なお付き合いの証拠だとすごく喜んでいました。
しかし、この昼休みの2時間弱こそ多くの先生に会える貴重な時間であり、数人の先生と仲良く団欒する時間ではないとすぐに気づきました。
それからは、いつも弁当を持参し、昼前に車の中で弁当を先に食べおなかを膨らませるようにしました。
こうすれば、医局で食べている先生を見てもお腹が空く事はありませんし、先生のお昼の誘いを「もう食べてきました」と断る事もできました。
多くの他社のプロパーは昼食を昼間廻った後にゆっくり摂ることが多いので、先に食べて廻ることは時間を気にしないで先生方と懇談、面談が出来る他社との貴重な差別化になりました。