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シイ企画 > 波乱万丈な薬剤師人生

波乱万丈! プロパー街道!1

学生時代に学園祭の実行委員をやっていた時です。
多くの薬品会社に広告を出してもらい、そして各企業の名古屋支店を訪問しました。
そして、その時に「薬品会社のプロパー(今のMR)ってかっこいい!」とあこがれを抱きました。
それ以来、絶対にプロパーになるぞ!と心に決めていました。

大手の薬品会社は個人の力より、会社のブランド力で評価されるので面白くない・・という話も聞いていましたので、私が第一志望にしたのは関西の規模の大きな化学会社でした。
その会社は薬品事業も行なっていたのです。

その会社は学内でも希望者が多かったのですが、研究室の先生のご尽力で推薦していただく事ができました。

後日、その会社の人事課長から呼び出しがあり、(成績が低かったのもあって)「この成績で弊社を受験するのはどうしてですか?」との質問がありました。

私は「御社のプロパーになりたいと思います。またプロパーを目指す事で、社会人に向けた勉強を優先してきました」と答えました。
そして「社会人よりも学校の勉強を優先するなら私は大学院を目指して研究者を目指しました」とも答えました。

この答えは、きっと人事課長の気にいらなかったのでしょう、後日志願書が送り返されてきました。

第一志望がこのような結果でしたので、次にいくつか候補を選びましたが・・
結果として明治製菓を受験、そして入社する事となりました。

明治製菓に入社して最初の勤務先は神戸営業所でした。
当時、5名が新入社員として入社し、私は実家が茨木で家から通うことになりましたが、他の4名は寮での勤務でした。

当時のプロパーはあまり仕事をしなくても売り上げがあり、結構余裕のある仕事をしていました。

私が担当したのは大阪薬品伊丹営業所であり、そこはほとんど、シオノギ中心の卸しで、明治はその次に取引の多い会社でした。

先方も熱心に取り組んで下さって成績を上げる事が出来ました。
特に新製品の取り組みでは先方とタイアップして社内でも高い評価を得る事が出来ました。
大阪薬品で仕事のイロハを教わる事が多く、先輩からの指導を受ける事がほとんどありませんでした。

そんな中、先方にはいつも直行で、会社には15時頃帰る事が多く、その時間は私と上司だけでした。

通常、会社の多くのプロパーは朝卸しに直行したあと会社に戻り昼前に会社を出る事が多かったので、ある日上司から「おい高橋、お前は何でこんな時間に会社に帰って来るんだ」と注意を受けました。

その時に、上司に「なんで昼前に帰ってこないかご存知ですか?開業医は午後は休診ですよ、午前中に開業医廻ってると、この時間しか帰れないです。」と言いますと、上司はやっと私の仕事の中身についてわかったようです。

その後、入社半年で淡路島の開業医と中小病院を担当することになります。

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