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シイ企画 > 波乱万丈な薬剤師人生

波乱万丈! 新たなる道、臨床開発編1

本社開発部は営業と違い、スタッフの卒業大学も一流どころで本社一筋の勤務の方が多く純粋培養されたような人ばかりでした。
その中では当然ながら、営業と開発の間の溝、情報の食い違いなど今まで営業で取り組んできた事とはあまりにも違う環境に戸惑うばかりした。

私は、それまでは先生方始め社外の方々とのお付き合いが中心でしたので会社のために、社会のためにとの考えで来ましたが、本社は俗に言うサラリーマン社会、サラリーマン人生そのもののように思えました。

そういう環境で正しいことを正しく判断し正しく伝えることの難しさを痛感しました。
「営業からきた高橋は開発の情報を外部に漏らしているのでは?」との噂もたった事があり、非常に心外でしたが、私は開発になった以上は、営業とは一線を引いて一開発マンとして行動してきました。

営業時代は支店長をトップとして自分の役割を認識し、地域の病院、医院にどのようにして薬剤をプロパガンダし普及していくか、また同種同効品については、価格競争に頼らず、企業と個人の信頼を勝ち取ることによって売上げを得る。その結果、社内外での評価を得られる、かっこ良く言えば、自分の出世や欲でなく社会で自社製品を評価して頂く、評価されてこそ売上げに繋がるとの思いで仕事をしてきました。

それに対して本社では一人一人私が営業時代に感じたような使命感もなく、むしろ自分を守る、自分をアピールするような雰囲気を感じました。
私が担当した薬剤はもうすでに臨床試験の後半、終わり近くになっているとの事で本社に移動になりましたが、実際にはまだまだ臨床開発の真最中でした。

担当した薬は抗不安薬でアメリカを中心としてグローバルに評価されているセロトニン系の日本では始めての薬剤でした。その薬剤は外資系の企業が導入し、明治と併売する予定での共同開発でしたが、臨床開発のベースはその外資系企業が中心となって行っていました。

今まで抗生物質を中心として営業活動を行ってきた私は、外科系を中心とした先生方とのお付き合いが多く、精神科の先生とのお付き合いはあまりありませんでしたが、担当した薬剤は精神科の先生と心療内科の先生方ばかりでしたので当初はかなり戸惑いもありました。

今まで私が接してきた先生方は身体の治療を目的に薬や手術によって取り組まれておられましたが、精神科、心療内科の先生方は患者さんと向き合って心の病を診断、治療されるお立場でした。

今私の信念としている『心と身体の健康づくり』は、精神科、心療内科の先生方とお付き合いさせて頂くことによって「人は心と身体がバランスよく健康である事が大切であり、医療はバランスよく治療することである」との事を学んで生まれました。

当時の臨床開発は、先生方が主導で、企業がそれをサポートする、そのような組織が組まれていました。臨床薬理学に精通され全体をまとめられる先生が治験総括医師としてグループを包括され、臨床薬理の専門家の先生がコントローラーとなり、いくつかのグループがそれぞれ臨床試験を担当されていました。

精神科では北大を中心としたグループ、東京の大学を中心としたグループ、関西は阪大ご出身の先生を中心としたグループなど北海道から九州までいくつかのグループがありました。また心療内科は九州大学が発祥でしたが、消化器を中心として旭川医大、弘前大学、また東京では東大分院、東邦大学や関西では関西医大などがありました。

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